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整体の起源
整体の起源は今から4000年ほど遡り、紀元前2000年ごろに発祥した中国の治療法「推拿(すいな)」という手技だと言われています。
推拿が奈良~平安時代ごろ日本に伝わり、さらに明治~大正時代にはアメリカからオステオパシー、カイロプラクティックも日本に導入されました。
これらの手技療法は山田信一や野口晴哉などの療法家により日本の伝統的な療法と融合され、大正~昭和時代にかけて多様な形で発展し、野口晴哉による整体操法(野口整体)が有名になったことで一般的に知られるようになりました。
1956年(昭和31年)には文部科学省(旧文部省)の認可を受けて「社団法人整体協会」が設立され、整体が社会的地位を確立したのは今から約70年前ということになります。
年代 | 主な出来事 |
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紀元前 2000年 | 推拿(すいな)が発祥。 |
紀元前 202年〜 220年 | 最古の医学書「黄帝内径」に 「按摩」の記載。 |
589〜 907年 | 推拿が日本に伝わる。 |
718年 | 法令「養老令」に針博士・針師・針生、按摩博士・按摩師・按摩生が記載。 |
1368〜1644年 | 日本で一般的に「推拿」という名称が使われる。 小児向けの按摩を推拿と呼ぶようになる。 |
1636年〜 | キリスト教普及によって西洋医学が導入される。 |
1799年~ | 日本で按摩が体系付けられる。 |
1874年 | 医師アンドリュー・テイラー・スティルによってオステオパシーが創始される。 |
1895年 | カイロプラクティック発祥。 D.Dパーマーが首を施術したところ難聴が改善したことが起源。 |
1904年 | オステオパシー伝来。 レイチェル・リードD.O.が京都看病婦学校にて講演。 |
1910年 | アメリカでオステオパシーが医学として公認される。 |
1911年 | 内務省が日本の伝統的手技療法・按摩術を免許制にし、手技療法の法制化の試みが始まる。 |
1916年 | 川口三郎によりカイロプラクティック伝来。 |
1920年 | マッサージに対する取り締まりが行われる。 |
1921年 | 山田信一によって『山田式整體術講習録』が発表。 オステオパシーと他の療術を組み合わせた「整体術」が紹介される。 |
1926~ 1941年 | 橋本敬三により操体が考案。 (1975年~1977年に名称を操体法に変更) |
1943年 | 整体操法設立委員会が設立され、野口晴哉が「整体」という言葉を作る。 (同年に医師法の公布) |
1956年 | 「社団法人整体協会」が設立される。 |
1960年 | 最高裁が「整体は有害じゃなければOK」の判決を下す。 1月27日最高裁大法廷判決において「法が禁止しているのは「人体に有害な医業類似行為」だけであって、有害でない医業類似行為は(たとえ全く無益であっても)憲法22条によって禁止できない」とされた。 医業類似行為においては『患者に害のある行為だと立証されない限り「職業選択の自由」の観点から法的に禁止出来ない』との最高裁判例もあり民間療法である整体は禁止の対象とならない。 |
2012年 | 代替医療の国際的学術雑誌で、整体・鍼治療・マッサージ治療の効果を比べるランダム化比較試験の論文が発表され「SEITAI=整体」という言葉が論文に記載。 |
整体という言葉が生まれたのは1943年
整体の歴史を調べてみると、推拿・按摩・オステオパシー・カイロプラクティック・操体と、多くの療法の名称が出てきます。そして整体という言葉が出てくるのは1943年と、各療法の一番最後です。
ここまでの経緯を見ていくと、按摩が推拿になったり、オステオパシーと他の療法を組み合わせたり、世界中の療法からヒントを得て整体という療法が生まれたということがわかります。
現代の整体
現代の日本では整体は多様化しており、リラクゼーションマッサージから具体的な症状改善(腰痛・坐骨神経痛・肩関節周囲炎・股関節痛・膝痛等)を目的とする施術まで幅広く対応しています。
整体と言っても施術者の方針や技術によって異なる施術法が存在し、筋肉へのアプローチや骨格の矯正、血流の改善などを手技を使って症状の改善を図る民間療法や代替医療として行われています。そのため、どのような目的を持って整体を受けるかが重要になります。